『ミッション:インポッシブル』感想・レビュー|信じてはいけない。疑いすぎてもいけない。

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あらすじ

イーサン・ハント(トム・クルーズ)は、IMF(インポッシブル・ミッション・フォース)に所属するエージェントです。任務は、誰にも知られてはならない極秘作戦。成功しても、名前は残りません。

冒頭の作戦でチームは大きな損失を受けます。信頼していた仲間が次々と姿を消し、何が真実で何が罠なのか分からなくなる。イーサンは“濡れ衣”を着せられた形で、組織から追われる立場になります。

真相に辿り着くには、危険な情報の横流しを止め、黒幕を突き止めるしかない。追う者から、追われる者へ。イーサンは、わずかな協力者と“非公式のミッション”に踏み出します。

そして、絶対に侵入不可能と言われるCIA本部のデータ保管室へ。一滴の汗、ひとつの音が、任務全体を壊す。そんな極限の静けさの中で、彼らは世界一有名な“吊り下がり潜入”をやってのけます。

スパイ映画らしい知略、90年代の手ざわり、そしてチームの呼吸。『ミッション:インポッシブル』は、後のシリーズすべての“原点”です。

見どころ①:ラングレー潜入――“無音のアクション”がいちばんこわい

この作品を語るとき、まず出てくるのがCIA本部・ラングレーの“クリーンルーム”潜入です。銃撃戦も爆発もありません。あるのは、徹底的な沈黙と、重力だけ。

床に触れたらアウト。温度が上がってもアウト、音を立ててもアウト。イーサンはロープ一本で天井から吊られ、床すれすれの高さで体を止めます。

汗が一滴、頬を伝います。その一滴を、ぎりぎりで受け止める。たったそれだけのシーンで、手に汗をかく。

アクションは派手である必要はない――そう確信させてくれる名場面です。観客は息をするタイミングさえ奪われ、画面の“静けさ”に釘付けになります。動くより、動かないほうがこわい。

この静のアクションが、シリーズ全体の個性になりました。のちの作品がスケールを増しても、コアにあるのは“段取り”と“静寂の緊張”。その設計図が、ここで完成しているのがすごいところです。

見どころ②:ブライアン・デ・パルマのサスペンス演出――“見る/見られる”のゲーム

監督はブライアン・デ・パルマ。サスペンスの名手らしく、視線と情報の使い方が徹底しています。

誰が、何を、どこまで見ているのか。カメラは常に“視点”をズラし、観客の解釈を揺さぶる。オープニングからラストまで、映像そのものが“嘘と真実”の綱引きになっています。

分割フレームや長回し、突然の無音。派手なカメラワークをしているのに、やっていることは“情報の整理”です。観客は無意識のうちに、画面の中の“誰かの視線”になって事件を追いかける。

だから、ひとつの事実が裏返る瞬間の破壊力がすごい。さっきまで信じていたものが、次のカットで意味を変える。“編集で裏切る”快感が、痛いほど気持ちいい。

スパイ映画の肝は、ドンパチではなく“情報”。それを映像文法で体感させる。この一作目は、その純度がいちばん高いです。

見どころ③:チームで盗む楽しさ――ガジェット、変装、役割分担

『ミッション:インポッシブル』は、チーム映画です。たったひとりの天才ではなく、役割が噛み合ったときに“不可能”を越える。そこにこのシリーズの楽しさがあります。

ルーサー(技術/通信)。クリーガー(輸送/フィジカル)。イーサン(実行/調整)。

それぞれのスキルが、歯車のように噛み合う瞬間。準備した“段取り”が、次の“段取り”を呼び、静かな達成感が積み上がっていく。この“工程の快感”が、観客に中毒のような心地よさを残します。

そして、シリーズの象徴“変装マスク”。見破れない顔、完璧な声マネ、立ち居振る舞いまでコピー。“誰かになりすます”ことが、物語のど真ん中に据えられます。

正体が入れ替わると、意味が入れ替わる。スパイ映画の基本を、驚きではなく“段取りの美しさ”で見せるのが最高です。ラングレーの無音潜入と並んで、のちのシリーズのDNAになりました。

見どころ④:90年代の“手ざわり”と音楽――ラロ・シフリン×ダニー・エルフマン

テーマ曲はおなじみの「タタタ、タタタ」。オリジナルを活かしつつ、全体のスコアをダニー・エルフマンが手掛け、サスペンスのリズムとスパイらしい高揚感がうまくブレンドされています。

電子音に寄りすぎない、生音の質感。静けさを引き伸ばす弦の響き。勝利よりも、“成功するか分からない”時間を音で味わわせる。

90年代の現場撮影の空気と、アナログ的な編集のキレ。いま見ると、むしろ新鮮です。CGの派手さではなく、カメラの位置とカットのリズムで緊張を作る。

シリーズが後に超絶アクションへ進化しても、“音で張る緊張”と“アナログな段取り”は、ずっと生き続けます。そのゼロ号機が、この一作目です。

見どころ⑤:列車のクライマックス――理屈より“体験”で押し切る

終盤の高速列車のパートは、いまの目で見るとフィジクス的に“盛ってる”ところもあります。でも、気にならない。理由はシンプルで、体験のほうが勝っているから。

風圧、速度、鉄のきしみ。カメラがとらえる“人がそこにいる感じ”が、理屈を超えてくる。デ・パルマはサスペンスの人だけど、クライマックスではちゃんと体感で押し切る。

理性でツッコむより、体が先に反応する。“わかる”より“感じる”。映画って、これでいいんだよなと思わせてくれます。

この作品がシリーズに残した“原点”

・静けさで見せるアクション
・視線と情報のゲーム
・チームの段取りの快感
・変装マスクを軸にした“意味の反転”
・音で引き伸ばす緊張

のちの大仕掛け(ビル登攀、飛行機スタント、HALOジャンプ)に繋がる、設計思想がここにあります。スケールは控えめでも、スリルは濃い。“やり方の気持ちよさ”で、観客を掴む。

だからこそ、第1作はいつ見返しても面白い。派手さより、段取りと間。この感覚が好きなら、シリーズ全体がもっと好きになります。

まとめ

『ミッション:インポッシブル』は、“チームで盗むスリルは、静けさの中で最大化する”ことを証明した作品です。

汗が落ちる音、キーボードの小さなクリック、ロープのきしみ、遠くで鳴る空調。その全部が、心拍と同期してくる。

デ・パルマの演出は、派手な嘘より“映像の約束事”を丁寧に積み上げます。だから、ひとつの反転がとてつもなく効く。「そうだったのか」と理解した瞬間、同時に「やばい」と体が反応する。

イーサンは、最初から完璧なヒーローではありません。判断に迷い、失敗を背負い、仲間の助けでしか越えられないラインがある。その姿が、このシリーズの魅力を決めました。

のちのシリーズでアクションは巨大化していくけれど、“静かな手ざわりのスリル”という原点は、この一作目に詰まっています。今あらためて観ると、むしろ新鮮です。

最初のミッションは、いちばん静かで、いちばん熱い。ここから、すべてが始まりました。

作品情報

タイトル ミッション:インポッシブル
原題 Mission: Impossible
公開年 1996年
監督 ブライアン・デ・パルマ
出演 トム・クルーズ、ジョン・ヴォイト、エマニュエル・ベアール、ヴィング・レイムス、ジャン・レノ
配信 U-NEXT、Amazon Prime Videoほか
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